2011年3月26日土曜日

東北地方太平洋沖地震 記憶の記録

3月11日に東北及び関東地方において発生した大地震から14日が経過した。被災者の方々に心からお見舞いを申し上げるとともに,不運にも今回の地震及び津波によって命を落とされた方々のご冥福をお祈り申し上げます。

アタクシは,移動中の電車内で地震に遭った。幸いにも停車駅で停車中であったのだが,未だかつて経験したことのない揺れで,車内は大混乱であった。慌ててホームに飛び出して行く人も多かった。電車内から構外を見てみると,工事用のトラックが物凄い揺れており,揺れがおさまった頃にはすっかり向きが変わってしまう程であった。ホームの電灯のカバーが落ちたと騒ぐ人もいた。

当然,電車の運転は見合わせになった。直ぐに携帯電話も通じない状態になったため,一先ず改札を出て公衆電話で必要最小限の相手に電話をした。この時点で既に公衆電話には長蛇の列ができていたように思う。この駅はかなり小規模なもので,周辺には殆ど何もなかったため,近くの交番で道を聞いて最寄りのターミナル駅まで歩いて向かった。この道中でも余震と思しき大きな揺れがあり,周辺の住民は挙って戸外に出て慌てているようだった。途中,とりあえず落ち着こうと思って自動販売機でお茶を買おうと120円投入したのだが,地震の影響で壊れてしまったようで,とうとうお茶は姿を現さなかった。

30分ぐらい歩いてやっとターミナル駅に着いた。とにかく人が多く,あらゆる所で長蛇の列が出来ていた。タクシーを待つ人,バスを待つ人,公衆電話を待つ人。アタクシは駅構内に向かったのだが,向かう途中で上から大量の水が降ってきている所があった。駅構内には更に人が多く,また,広範囲にわたって水浸しの状態になっていた。

この間,情報を入手する術がなかったため,とにかく大きな地震があったということくらいしか分からず,震源はどこなのか,現時点でどれくらいの被害が生じているのか等は全く知らなかったのだが,駅を出て直ぐのところにある大画面モニターで初めてその惨状を知るに至った。

JRでは早々に本日中の運転再開の予定はないとのアナウンスがなされた。駅構内は途方にくれて座り込む人々によって埋め尽くされていた。タクシーやバスも当分は乗れる状態ではないほど長蛇の列が出来ていた。公衆トイレに並ぶ人も大勢いて,駅周辺は大変な混乱状態に陥っていた。

アタクシは徒歩で帰宅することを決め,念のためコンビにで飲み物とおにぎりを購入して帰路についた。まさか自分が帰宅困難者になるとは夢にも思わなかった。幹線道路沿いにはアタクシと同じように徒歩で帰宅する人が多く見られた。途中で,会社名は忘れてしまったが,ポケットティッシュの代わりにホッカイロを配っている人がいたので,有り難く頂くことにした。そんなこんなで,だいたい2時間くらいかかって無事に家に到着することができた。
家の中は地震によってめちゃくちゃになっているだろうと覚悟していたが,本棚から2-3冊の本が落ちていたくらいで,大地震が嘘であったかのような平穏さであった。

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