太宰治の『走れメロス』にツッコミを入れてみよう。もしかしたら、誰かがどこかで同じようなことを突っ込んでいるかも知れないけど、アタクシなりにやってみましょう。
最近この小説を読んだからという訳ではなくて、さっきふと中学生の時に授業で読んで、さらにディベートまでさせられたことを思い出したのだ。だから、この小説のディティールについては正直記憶が曖昧だということを予め断っておく。
さて、この小説は、
主人公メロスが無実の罪で国王に捕まる
身柄を拘束されている間に最愛の妹が結婚式を挙げることになった
結婚式に出席するため親友を人質にして牢屋から出る
無事式に出席し牢屋に帰る
と、確かこんな流れだったと記憶している。
ここでツッコミたいのは、果して親友を人質にする必要があったのかという点についてである。
メロスの目的は最愛の妹の花嫁姿を一目見ることにあったわけであるが、そのためには、メロスのとった行動が唯一無二のものだということはないし、最善の策だというわけでもない。
当該目的を達するには、妹夫婦に面会に来てもらえば済む話であり、かつ、これが最善の策であると考えられる。
まず、この方法によれば、親友を人質に捧げる必要がなくなる。小説ではメロスが無事に牢屋に戻り親友の人質も解放されたから良かったものの、当時のインフラを考えると、これは実に不安/不確実な行動であったと言わざるを得ない。例えば、大雨で唯一の橋が流されてしまっていたとしたら、おそらくメロスは約束の時間に戻ってこれなかっただろう。
次に、この方法によれば、国王側もメロスを処刑し損ねるということがなくなる。人質をとってメロスを一旦解放するよりも、メロスの身柄を拘束したまま面会を認める方が、メロスを確実に処刑するためには都合が良いのは明らかだろう。よりリスクの高い「人質+一旦解放」を認めた国王が、よりリスクの低い面会の要求に応じないとは考え難い。
このように、面会の方法を選択すれば、親友を犠牲にする必要もなくなるし、国王としてもメロスを処刑し損ねるというリスクを冒さずにすむ。妹に対して面会に来てくれるよう頼むところだけ親友を登場させれば良いだろう。
もっとも、妹がわざわざ面会に来てくれるのかということが問題となり得るが、小説ではおそらく相思相愛の兄妹であったから、きっと妹も喜んで会いに来てくれることだろう。
てなわけで、『走れメロス』は友情劇としては無理があるなぁと思った次第です。妹がお兄ちゃんに花嫁姿を見せに行くっていう兄妹愛としては成り立つかも知れないけどね。
本当に親友思いなのであれば、もうちょっと冷静に最善の策を考えましょうね。
0 件のコメント:
コメントを投稿