2010年9月30日木曜日

夫婦別姓

風呂に入る前にふと思いついたことがあったので、Twitterにつぶやいておこうと思ったんだけど、それすらも面倒くさかったから、そのまま風呂に入っちゃったら忘れちゃった。でも今また思い出したので、こっちに書いておくことにしよう。

題名の通り「夫婦別姓」について。

アタクシ自身は夫婦別姓なんてどうでも良いんだけど、導入の賛否の議論をみていると、ちょっとおかしいんじゃないのっていう主張がされていることがあって気持ち悪いので、ここで吐き出させてもらおうということだ。

記しておきたいことは二点ある。

まず第一点。

夫婦別姓は男女平等の極みであるといった主張をする者がいる。また、以下に引用するようなことを言う者もいる。

「夫婦別姓」だって未だに許さない。あれはそもそも「姓名自由」と名付けるべき。旦那の姓に改めてもいいし、改めなくてもいいようにすればいい。でも許さない頭硬い爺さんがいっぱいいる。
宋文洲(@sohbunshu)

しかし、夫婦別姓ってのは元々家父長制下で女性差別に仕えた制度である。婚姻によっても、別の“家”の存在たる女性を男性の“家”に入れないための仕組みだったということだ。「男女平等の極み」どころか、「女性差別の極み」であったわけ。この点を措いて、夫婦別姓を以て男女平等に仕えるものであると謳うのは、やや楽観的に過ぎるのではないかと思う。

次に第二点。

夫婦別姓導入への批判として、「家族の一体感を削ぐものである」といったことが主張されることがある。

しかし、家族の一体感って、法律によって夫婦及びその子の姓を揃えないと維持できないほど脆弱なものなのかどうか。上記のような主張をする人は、この点を肯定していることになると思うんだけど、家族の一体感なんてそんなもんなのかなぁって、ちょっと腑に落ちないな。

ということで、賛否両論いずれにも、もう少し突っ込んだ主張をして欲しいなと思った次第。なんか月並みなこと書いちゃったけど、書こうと思っていたことを思い出して書けたので、よしとしよう。

0 件のコメント:

コメントを投稿